あのね 子どものつぶやき 11-01.09.28
性欲は本能だけではありません。
性愛行動は親から子へと刷り込まれ、
子が親の真似をして育ってゆくものです。
しばし、子どものつぶやきに、
そっと、耳をかたむけてみませんか・・・・
祖母の家に泊まることになった。
「ぼくはおばあちゃんと寝るから、お父さんとお母さんは二人でチュウして、お話してねんねしてね」
(福島県郡山市 阿部 傑 3歳)
「お母さん、結婚すると子どもが生まれるんでしょ」 「そうよ」 「じゃあ、お母さん三回結婚したの?」
(山形市最上郡 井上 将太 6歳)
「お母さん、恋をする二人の間には白いハトが飛ぶんだよ。でも、離婚すると黒いカラスが飛ぶんだよ」
(静岡県浜北市 猪股 新 8歳)
「あのね 子どものつぶやき」朝日新聞学芸部編・朝日新聞社 より
子どものなげき 12-01.09.28
人生の中で一番美しいとされていた「十五の春」
子どもたちは、こんななげきを・・・・
「母浮気 言い争う声 針と刺す」 (中三
15歳・女)
「持つ鞄 投げつけたいぞ DKで 母は男に 顔をいじらせ」
(中三 14歳・男)
「いやらしい その一言で 母にげる」 (中二
13歳・女)
「少しだけ 話してやっぱり 怒られた 一生しないぞ 性の話は」 (中二
13歳・男)
「あんな人 選んじゃだめよ あなたはね 体験がにじむ
母の教えなり」 (中三 14歳・女)
「親を見りゃ ボクの将来 知れたもの」矢野
壽男・三笠書房 より
夫婦 13-02.05.17.
男は退屈から結婚する。
女は物好きから結婚する。
そして双方とも失望する。
「イギリスの作家 オスカー・ワイルド」
そのあげく
夫婦がケンカするのは、
お互いに言うことが何もないからである。
それは両人にとって、
時間をつぶす一つの方法なのだ。
「フランスの小説家 モンテルラン」
しかし
生活の進化と成長のためには、
同じ夫と妻が死ぬまで幾度か、
結婚し直さなければならない。
「作家 野上 弥生子」
触れ合いの失敗 14-02.09.15.
こんなに地味で古風なサイトなのに、月に数件若い女性からのメールが届く。どのぐらい若いか、13才が最年少の女子中高生たちからだ。羨ましいと思われるかも知れないが、考え込んでしまうこともあって、これが結構骨が折れる。メールの内容には、体の不具合、悩みの相談に始まり性のトラブルや相談も交じっている。
悩みがむしろ特権だといえる思春期の少女たちだ。悩むことは不思議ではない。この頃の悩みはその内容がどのようなものであろうとも、どこかに甘酸っぱい香りがただよう、そんなものだと思っていたのだが、どうも違うのだ。
性体験を重ねているのだが、それに伴うさまざまなリスクにおののきながらも性体験を重ねる。心配だったらやめればいいのに、痛い目にあってしまったら少しは自重すればよいのに、当方はそれぐらいしか言えないのだ。マスコミなどで盛んに取り上げられている、お互いが楽しければ、SEXを楽しんで何が悪いの?という感じではないのだ。私にメールをよこしたり、療法に訪れる彼女たちは、性を楽しんでいる様子ではない。安易に性体験を重ねてはいるのだが、その理由は寂しいからではないだろうか。
今の若い女の子たちは自分の性体験をしごくあっけらかんと話す。聞いている当方が戸惑うぐらいだ。だけど、明るさが感じられない。むしろ投げやりというか、虚無的でさえある。療法だから当然体に触れる。この年代特有の張りのある柔らかなみずみずしい肉体の感触が伝わってこない。目をつぶって手の感触だけに神経を研ぎ澄ませていると、人生に疲弊しつくし枯れ木と化した女の体を触っているような錯覚さえ起きる。
総ての者に対して、体を硬直させ息を殺し、まるで死んでいるかのように生きているのだ。花の女子中高校生たちが。彼女たちの体の深奥に滞る寂しさと哀しみに当方が伝染するのか、施術の手が進まず、思わず嗚咽しそうになるときもある。
思春期に顕在化する性の衝動は、人間の根源的な本能だ。人間には、性欲・食欲・群生欲の三大本能がある。これらの本能が満たされれば快、満たされなければ不快という情動が起こる。不快情動が引き起こす行動に、逃避本能と闘争本能がある。
群生欲は哺乳類共通の本能らしい。特に、人間は一人では生きられない。誰かに庇護され、誰かと触れ合いながら、誰かと交わりながらでなければ生きていけない。物心がつくまでに、母からの肉体的精神的な愛撫を溢れるように受けて、自分を愛する能力、他者を愛する能力を身に付けていく。
彼女たちは、触れられた経験が不足しているのだ。群生欲が満たされない、その不全感に苛まれ、誰かに触れられたい、誰かに自分を庇護してもらいという情動が性欲と絡み合って、砂漠のような性経験を重ねていく。だが、満たされない。満たされない不快情動が引き金を引く、人の世から背を背け逃げてしまう者もいれば、人の世に復讐する者も出てくる。
愛するというのは触れること。私は総ての病は「触れ合いの失敗」にあると考えている。彼女たちは、その成育過程において、「し残された」不全感にもがいている。
「15の春は泣かせない」、かってそう言った京都の革新府知事がいた。当時の熾烈な高校入試に対してだったが、現在の15才の少女たちは、「生きる」という、そのこと自体に泣いている。
男の赤ちゃんはなぜ減るのか? 15-02.10.21.
9月24日火曜日の神戸新聞の夕刊にこんな記事が載っていました。
「男の赤ちゃんゆっくり減少」という大きな見出しです。少子化が止まらない日本で、男の赤ちゃんの割合がなぜか減っている。1970年代から続くかなり長期的な傾向だ。他の先進国にも同様の傾向が現れているため、世界規模で深刻化する環境汚染が“犯人”ではないかとの見方もある。ただそれだけで説明できないデータ−もあり、原因をめぐり、専門からは首をひねっている。というのです。
生まれてくる赤ちゃんの男女比は多くの国で、男児百六人に対し女児百人(男児51.5%・女児48・5%)程度といわれており、男の方が多い。70年代の日本のデータを見ると、男児の割合は最高で51.73%で、衛生や医療が、むしろ向上した80年には51.46%、95,97年は51.26%に。小数点以下のわずかな変動だが、0.1%は千二百人近い違いになり、ここ数年の国内の年間出生数は百二十万人弱。よく似た傾向は、デンマークやオランダ、カナダ、米国などでも現れている。
人口と性の問題に詳しい林謙治・国立保健医療科学院次長は「男女のバランスが崩れれば、社会や家族の在り方が変わる可能性があり、気になる傾向だ。ただ、現在はさまざまな仮説が出ている段階だ」と首をひねっている。
という内容です。
私は、これは性の本質に関わる問題であると直感したのです。生まれる子の性の決定は精子が決めます。女性の性染色体はX・X。男性の性染色体はX・Y。男性の精子の中のX染色体が女性の卵子と受精すれば、卵子のX染色体と一緒になってX・Xの性染色体となり、女性になります。男性の精子の中のY染色体が女性の卵子と受精すればX・Yの性染色体となり、男性になります。
精子は膣の中に射精され、子宮頚管から子宮腔には入り卵管をさかのぼって、卵子をめがけて突進していきます。目や口や膣のように内臓が体壁を突き抜けている部分は、外からの細菌感染を防ぐために酸性に保たれています。膣内のように酸性の強いところでは、Y精子はX精子に比べてはるかに抵抗力が弱いのです。そのままだと、Y精子は子宮に達するまでに膣の酸によってほとんどが死滅してしまいます。
ところが、造型主の配慮でしょうか、女性がSEXの快感で興奮度が高まると子宮頚管はアルカリ性の液体を分泌します。オルガスムスに達すれば、アルカリ性の分泌液がどっと増えます。俗にいう「濡れる」という現象です。このアルカリ性の分泌液が酸性の膣を中和して、精子の活動を助けるのです。
SEXの最中に女性が快感を感じ興奮度が高まり、究極的にオルガスムスを迎えるのには一定の条件が要ります。大脳の新皮質=人間脳の働きが抑制され、性欲などの本能行動の座である大脳辺縁系=動物脳の働きが活性化されなければなりません。ストレスが貯まったままの脳では、新皮質は常に興奮状態で、大脳辺縁系は活動が極度に抑制されたままです。いわゆる「味気ないSEX]で良質の快感もなければ新皮質を麻痺させる性的興奮も起こりません。もちろん濡れ具合も不充分でしょう。こんな状態で射精しても、X染色体はほとんど死滅です。外部の環境変化や酸に強いY精子が卵子と受精する確立が増大します。女のこの誕生です。
記事に出ていましたように、日本をはじめ先進国はひたすら文明化を進め、今現在では高度情報化社会と称され、その波は国境を超えて個人個人を直撃しています。グローバリゼーションです。情報を処理するのは大脳の新皮質です。先進国の人たちは新皮質の過剰使用を余儀なくされています。一番古い脳の脳幹は、呼吸や体温など生体恒常維持機能、簡単にいえば植物的な機能をつかさどっています。植物のようなみずみずしい生命力をつかさどる脳です。大脳辺縁系は性欲・食欲・群生欲・攻撃本能・逃避本能などの本能行動と快・不快の原初的情動行動をつかさどっています。
ストレスというのは、新皮質の過剰使用に対して、脳幹や大脳辺縁系の著しい活動低下がもたらす心身疾患のことをいいます。
ストレス社会では、みずみずしくたくましいSEXを堪能するのは容易ではありません。造型主が人間にだけ与えていただいた、SEXのめくるめく快感に身を委ねることが難しくなるのです。
先進諸国で、周産期の衛生や医療が充実しているにもかかわらず、自然の摂理に反して、男の赤ちゃんの出生率が減少しているのは、貧しいSEXしかできないような文明社会にどっぷりと浸っているからではないのかというのが、私の独断と偏見に基づく仮説です。が皆さんはどのようにお考えですか?
この世は所詮、男と女 16-02.12.10.
X染色体には、命の営みに直接関与する重要な遺伝子が少なくとも100以上はびっしりと詰まっているという。一方のY染色体は、精巣を作るための遺伝子が主で、命の営みには無関係な遺伝子が詰まっているにすぎないといわれている。
女性ならば、片方のX染色体に異常や欠陥があっても、もう片方のX染色体が正常であれば、一方の異常や欠陥を補って命は全体として正常に営まれることになる。
いわば、女性は二つの強力な原動機を備えていることになる。これに比べ、男性は原動機が一つしかない。男性は生命力そのものに女性よりもかなりの落差がある。女性はもともと生命力が強く、男性はもともと生命力が弱いのだ。
生物は個体維持と種の維持を本来的な目的とする。つまり子孫を残し、種を連綿と引き継いで行く。種を維持するために生殖活動を行うのだが、その前提として生殖を行う個体を維持しなければならない。個体は食うことで維持される。食と性この二大本能が生命体の命の源である。食わなければ個体は死ぬが、他の個体がいれば性が営なまれ種の維持にはなんら影響を及ぼさない。食よりも性が優位である。生命体というのは、生殖活動で種を維持することが一次的生命活動であって、食はそれを補完する二次的な生命活動である、ととらえることができる。
もともと生命力が弱い男性は、病気になりやすくもろい。当然女性よりも死亡率が高くなる。だから、男性は女性よりも多く産まれて多く死ぬことになる。
産むのはもちろん女性だ。女性は新たな命を育み種の維持を行っていく生命体なので、当然生命力が強くなければその役目は果たせない。
これが自然科学の立場から見る男性(XY)像であり、女性(XX)像である。ことさらに自然科学などという小難しい学問など持ち出さなくても、多くの子供を産み育ててきた母親であれば、感覚的経験的にこのことは知っている。男の子は育てにくいと昔からいわれている。女の子よりひ弱で病気はよくするし、発達や発育が遅い。前思春期といわれる9,10歳ぐらいまでは女の子の方が口は立つし、利口だし、体力や運動面でも優勢だ。
そこで、昔の人たちはどうしたか。男の子にはしっかりせよと叱咤激励し、強くなれと鍛えた。そうしなければ男の子は女の子並みにしっかりとは育たないことを昔の人は知っていたのだ。そうして、男の子がたとえひいひいいいながらでも女の子並みになれるのかといえば、これがまた困難である。なにせ、相手はXXの双発原動機付だ。フル回転すれば単発原動機の男の子など足元にも及ばない。だから、昔の人は、女の子はおしとやかに、とその生命力を抑制する方向で育てた。
男の子は、しっかりと強く男らしく。女の子は、万事控えめでおしとやかに。そのように育てなければ、男の子はひ弱で情けなく、女の子は強すぎて、男女の調和が取れなくなる。当然、この世は男と女しかいないから、男女の調和が取れなくなると世の中が成り立たなくなる。
自然界の法則を感覚的経験的に捉え、それに則り人を育てていく、これを教育をいうのではないのか。ヒトは教育されなければ人にならない。これがヒト以外の動物との根源的な差異である。
女の子を、男の子を自然に任せてほっておいたら、現代のように元気な女の子と情けない男の子の構図になるのは当たり前の話である。男女の性と食が歪んでいる。男女の調和が崩れている。当然、世の中の調和も崩れている。
新年に思う タッチング 17-03.01.16.
昨年末は、多くの週刊誌でセックスの特集が組まれ、セックスを主題とする本が次々に刊行されてどれもベストセラーになっています。戦後何回目かのセックス情報ブームと言った評論家がいました。書店に平積みされた、おしゃれで少し値の張る本を女性たちがこぞって購入しているというのです。昨年末のセックス情報ブームの特長は、女性たちが支えているようです。
この、おしゃれで少し値の張る本はビニールカバーで封印されていて、気軽にページをめくることができないので、内容は私の知る余地がありません。それでも、週刊誌などで内容が小出しに紹介されていました。週刊誌のセックス特集は、喫茶店でできるだけ読むようにしています。男性向けの興味本意で卑猥な内容ではなく、性科学の知見に基づいて理知的に紹介されているのですが、突き詰めれば、性感帯や体位やセックステクニックなどのハウツウに収斂されています。
快感を得るためには、こんな方法がありますよ。こうすれば、こんなに快感が得られますよ。こういう教示に女性たちが飛びついているのかと思うと、性の情報が明るくそして女性たちに支持されているという、性の向日性の裏になにか大きな空洞があるような気がするのです。情報というのはニュートラルでデジタルな『知』の世界です。情報に基づいて『頭』でセックスをするのでしょうか。こうすればあのようになれると。これは、仮想空間の世界です。
「体のいのちは、感覚と感情のいのちである。体は本当に飢え、本当の渇きを感じ、太陽や雪を心からよろこび、バラの香り、リラの花を楽しみ、心底から怒り、本当に悲しみ、真に優しく、温かく、情熱し、憎み、嘆く。すべての感情は体に属し、頭はそれを認識するのみなのだ」。
『チャタレー夫人の恋人』で有名な、イギリスの小説家 D.H.ロレンスの言葉です。彼は、この短い言葉に、『生きている体のセックス』というタイトルを付けています。
豊かなセックスを阻害するもの、それは、頭の働きによる過剰な意識ではないのでしょうか。意識は体を随意に牽きまわし、意識は王様体は隷(しもべ)となるのです。今の一見明るく装うセックス情報ブームには、体が置き忘れられている、私はそれがどうしても気になるのです。
「愛にもとづく全身的な生体エネルギーの流れに完全に身を委ね、不随意な痙攣により余剰エネルギーを放出し、相手と溶け合うこと」、ウイルヘルム・ライヒのオルガスムスの定義です。私は心理学を全く信用していませんので、ここに心理学分野の先達を引き合いに出すのは、必ずしも潔し良しとはしませんが、言いたいことは、『意識と体』なのです。随意を休め不随意(意思に支配されない)に身を委ねる。「不随意な痙攣」、「全身的生体エネルギーの流れ」、「相手と溶け合う」、これらは体のどこかに意識による硬直つまり筋肉の鎧化がある限り、十分なオルガスムスは決して起こらないのです。
オルガスムスというのは、行為そのものを超えた人間のありようそのものであって、また体の動きの有りかたそのもの、だから性は生なりとなる。性療法の臨床体験で得た私の実感です。
私は、性療法や気功教室で、セックスというのは、ふたりでする気功だと言っています。「ふたり気功」としてのセックス。一番大事なのは、心のこだわりを解消し、体のこわばりを癒す、つまりリラックスだと思います。意識の鎧から解放されなければ、ふたりの生き物が触れ合うことによって生ずる豊かな、素晴らしい体験の大部分に気づかないままに、セックスを繰り返すことになるでしょう。リラックスによってこそ、体と心の感受性が高まります。
そのために勧めたいのは、タッチングです。気功教室や快療法や性療法で、自分で自分にタッチする様々な方法を指導しています。教室などでは、公然とできるマスターベーションと言っています。これは、そのままより良いセックスの準備になり得るものです。
ふたりでタッチングをし、ふたりで呼吸を合わせてイメージをふくらませたりするのは、特別にセックスのためといわなくても、必ずより深い結びつきのあり方につながってきます。
新年の二月から一年間にわたってシリーズで『ゆすりタッチ』の講習会を行います。ゆすりタッチは私が独自に編み出した癒しの技法です。他者に触れることのできる体、他者に触れられることのできる体、男女が共に高め合って成長し、癒し合うための『愛の技法』として、普及させてゆきたいと思っています。
情報伝言板に予定があります。多くの方のご参加を楽しみにしています。
おじいちゃんのヌード鑑賞 18-03.03.25.
昨年(2002年)の暮れ(12月30日月曜日)の朝日新聞朝刊の読者投稿欄で見つけた文章です。
農業 徳永厚良 (愛媛県東予市 70歳)
あれは、高2の孫娘が夏休みに1週間ほど泊まり込みでやってきた、ある夜の出来事であった。
女房も孫娘も奥の間で夢路についているに違いないと、私はパソコンをインターネットにつなぎ、ヌード鑑賞をしていた。目を皿にして画面を見ていたから、背後に孫娘が立っているとは夢にも思わなかった。
だから「じいちゃん、こんなものに興味があるの」と彼女に声をかけられたとき、マウスを握っている私の右手は小刻みに震えた。画面の矢印マークも右往左往である。
だてに70歳という馬齢を重ねているのではない。私は落ちついたふりを装いながら、「男には雄の本能があってな、じいちゃんみたいなジェントルマン(?)でも、裸婦が見たいんじゃ。だから、お前も今後、めったなことで衣服を脱いではならんのじゃ」と、半面教師役となった次第である。
翌朝、女房からこっびどくお目玉をくったことは、言うまでもあるまい。
これが、投稿氏の全文です。
私は思わず吹き出しました。しばらく腹を抱えて笑い転げました。江戸艶笑小話を聞いているような気分でした。気持ちの良い笑い疲れを味わいました。ほんのしばらくすると、ふと、なんでこの文章がこんなに可笑しいのだろうという覚めた疑問が湧き起こってきたのです。
そして考え込みました。自分を納得させる理由を探すためです。いろんな理由が浮かび上がってきたのですが、どれももう一つすっと心に落ちていかないのです。私の考えることですから沈思熟考という程ではないのです。もちろん哲学的な思考方式など持ち合わせていませんので、ただなんとなく「考えているという状態である」という程度のものです。その程度ですから、朝飯食って、仕事をして、その日が次の日へと切り替わってしまうと、何時の間にかもう「考えているという状態」が無くなっているのです。だけど気にはなっているのでしょう、何でそんなことが言えるのかといいますと、この記事の切り抜きを手帳に忍ばせているのです。何時の間にかです。だから、この切り抜きのことも忘れてしまっていて、ちょうど三ヶ月になろうとする今日3月25日手帳を整理していたら、しわしわになったこの切り抜きが現れたのです。
三ヶ月ぶりに読み直してみると、なんとこの文章の可笑しさが閃くように分かったのです。この間この文章のことも忘れてしまっていて、三ヶ月前に「考えているという状態があった」ということさえもどこかに飛んでいるのです。
いつだったか、なにせ最近の事だ、何かの事件で話題になっていた高校の校長先生がストリップ鑑賞をしていたのが見つかって新聞やテレビや週刊誌で叩かれていた。自民党の山崎幹事長が愛人に変態みたいなことをしているとマスコミにすっぱ抜かれていた。そうそう、女性弁護士が弁護士会館に飾られている裸婦画に女性差別だと文句をつけた、とこれまたマスコミが騒いでいた。その後、このストリップが好きな粋な校長先生は辞職してしまったらしい。一方の変態山崎幹事長は今もテレビでお顔を拝んでいる。だけど、あの野暮な女性弁護士先生はどうなったのだろう。彼女よりも、裸婦画はどうなったのだろう。こちらの方が気になる。
何が言いたいのか。お三人の釈明がどんのものだったのか興味があるのです。そして、世間の御仁たちのお三人に対する追及の弁を聞きたかったのです。その当時は、こんな事件なんかちっとも興味がないのでテレビにも馬耳東風で新聞も目が流れていたのでしょう。でもお三人の釈明も、世間の御仁たちの糾弾も聞かなかっても、大体こんなものだろうと予測はつきます。
これも、どっかから拾ってきたネタです。手帳に大切にメモっています。
かって、フランスのミッテラン大統領は女性関係が華やかで、外に子供がいると噂されていたそうです。そこであるとき、新聞マスコミたちが大統領に直接尋ねた。「あなたには、婚姻外の子供がいるということだが、それは本当ですか」
すると大統領は即座に両手を開いて聞き返した。
「エ・アロール」
この一言で、記者はみな黙り、そのまま、そのことは二度と、蒸し返されることはなかったそうです。
さらにこのあと、パリマッチ誌の記者は誌面で、
「大統領は、エ・アロールといったが、われわれは政治家の汚職や金銭上のトラブルについては追求するが、男女関係は個人的な問題なので、ことさらに問題にはしない。フランスは野暮なアメリカとは違う」と記したそうです。
このエピソードは、当時フランスにいた人や、フランスに詳しい人のあいだでは、比較的知られた話だそうです。
どうも、性の分野は本音とタテマエが交差しやすいようで、いつのまにか本音かタテマエかそれさえも判然としなくなる、マスコミも世間の御仁たちも、そして当人も。そんないやらしい風潮を江戸の人たちは少しばかりの毒気を込めて明るく笑い飛ばしていた。それが江戸艶笑小話。今の時代からたった400年前のことです。
フランスには今でも、性に対する毒気と明るい笑いが健在なようです。日本でも投稿氏のような70歳のジェントルマンが増えると、きっと性に対する野暮な風潮が変わるだろうに、と思うのです。アメリカと同じ野暮な国といわれるのはこの上なく恥かしくてたまりません。
ちなみに、「エ・アロール」というフランス語は「それがどうしたの?」という意味とのことです。
おじいちゃんのインターネットでのヌード鑑賞、「エ・アロール、それがどうしたの?」。校長先生のストリップ鑑賞、「エ・アロール、それがどうしたの?」。山崎幹事長の変態行為、「エ・アロール、それがどうしたの?」。
そんなことどうでも「ええ、やろう」。
ラ・プチット・モール 19-03.06.19.
「私は時々、互いに職業も名前も価値観も考え方もまったく知らず、知る可能性も無い男性と性関係だけ持ちたい、と思うことがある」
女性からこんな独白を聞かされると、男なら誰しもどきっとするにちがいない。変ないやらしさは感じないのだが、それで・・・、と続く言葉を聞いてみたくなる。
「なぜ自分がそういう願望を持つのか、わかっている。社会性を脱ぎたいと思っているからである。<私>をやめたい、ただの生き物になりたい、大自然の中に溶けて入ってしまいたい、からである。これは言葉を変えれば<死にたい>というのと同じだ」
いや、はや、まいった。こんなに短い言葉で、これほど正直な女性の性的願望を聞いたことはない。みだらが怜悧な知性に包まれて、なお一層みだらをかきたてる。
世間では戦後何回目かの性情報ブームということで、性に関する情報が氾濫しているが、ブームというのは結局のところ社会のお墨付きを頂いたということだろう。社会性がこびり付いた性の情報など、なんの意味があるのだろうかと思案していた矢先に出会った言葉だった。
性の営みの際に社会性を纏っていたら<私>は埋没するしかない。社会性は<私>の深奥に浸潤している。<私>をやめれば、ただの生き物として存在するだけ。生き物は大自然と融合して命を営む。<私>を滅して相方と共に大自然の中に溶けて入ってイク。融合の深みから湧きおこる恍惚、<私>を喪失する不安。太宰 治ではないが、恍惚と不安我にあり。
オルガスムスを迎えるとき女性が「イク」と口走るのは、<私>をやめ、生き物として相方と融合できた恍惚と、<私>を喪失する不安から無意識に発するのだろうか。
「これは言葉を変えれば<死にたい>というのと同じだ」
そういえばオルガスムスのことを、かの国フランスの詩では「ラ・プチット・モール(小さな死)」と表現している。「イク」の響きにこめられている感じがなんとなく分かるような気がする。それにしても、女性の性の深淵に、男の私はただただ羨ましさにため息するばかりである。
『江戸の恋ー「粋」と「艶気」に生きる』 (集英社新書)の著者 田中優子さんの、粋で艶っぽい独白にすっかり刺激されてしまった。田中優子さんの極めつけの言葉をこの稿の最後にご紹介する。
「浮気、浮世・・・浮いているものに自分をゆだねる。ただし、そういう自分をもうひとりの自分がちょっとからかいながら見ている。切ないならばそれもいい。夢が覚めたらそれもまあ、しかたがない。固くてひんやりした地面も、なかなかいいものだ。・・・それが江戸の恋である。」
なんとまあ、現代の性情報ブームが干からびているかのように思えてくる。
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